Mark Hara's Blog

よりよい日本・よりよい世界を考える

日本人の宗教性 自分の場合

 私の母は、私をキリスト教系の幼稚園に入れました。評判がよかったからだと思われます。後でわかったことですが、その幼稚園はプロテスタントで、その中でも福音派と呼ばれる、どちらかというと保守的な教派でした。小学校は、母がかつて教員をしていた地元の公立の小学校に行きました。6年生のときに、母は私を塾に行かせ、評判がよかったカトリック系の中高一貫の男子校に私を行かせました。母は浄土真宗本願寺派の家で育ちましたが、私は、そのような成育歴から、宗教に関しては、キリスト教に親しみを感じていました。

 私が京大理学部の2回生だったときに、母は病死しました。入院したのは2泊3日だけでした。母の病状が悪化したとき、私は十字架と聖画のカードをお守りとして携帯していましたが、その効果はありませんでした。その出来事を契機に、私はキリスト教への関心を失いました。私も日本人として、宗教に呪術的な効果を求めていたことになると思われます。

 父の両親は、私が通った幼稚園の隣の教会に在籍する福音派キリスト教徒でしたが、父はそれが嫌いで、それ以前の家の宗派だった臨済宗の寺院に母の葬儀を依頼しました。臨済宗は、積極的無神論とでも言うべき宗派だったので、ある程度慰めになった気がします。諸行無常の世界観から見れば、人が死ぬことは何も不思議なことではありません。しかし、私は、半年くらいは鬱状態に陥りました。

 私は、京大理学部の4回生のときに、物理学者になりたいという夢が破れ、進路に迷いました。そんなときに、同志社大学神学部の学生だった女性と出会いました。そのことを契機に、私は再びキリスト教に関心を持ち、京大文学部でキリスト教学を学ぶことにしたのです。その後、同志社大学の大学院に進みました。その後、その女性と結婚し、米国に留学でき、私立大学に就職することができました。

 私は、キリスト教系の幼稚園、中学、高校で学び、大学、大学院でキリスト教学を学び、さらに大学でキリスト教学を教えることになりましたが、それでもキリスト教の世界観は、日本人である私には理解することが難しく、ある程度理解できたと思えるようになるまで、長い年月を要しました。親がキリスト教徒であったり、牧師であったりする同級生の中には、二十代でよくわかっていた人たちも少なくありませんでしたが、それは私には無理なことでした。それでも、その道に進んでよかったと思っています。