Mark Hara's Blog

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無限は実在するのか?

 無限は実在するでしょうか?限りのないものなどない、だから無限なものなどない、とも考えられます。それでは、時間や空間はどうでしょうか?無限の時間、無限の空間は実在するのではないでしょうか?また、無限というと、無限に大きいこと、すなわち無限大をイメージするかもしれませんが、無限小という概念もあります。今、概念と言いましたが、概念として考えられることと、実在することとは、普通は別のことであると考えられるでしょう。例えば、いわゆる宇宙人が存在することを想像することはできますが、宇宙人の実在は、具体的には明らかになっていません。

 哲学史に、プラトンイデア論と呼ばれる考え方があります。例えば、幾何学の図形を考えた場合、完全な円は実在するでしょうか?「完全な円は概念上の存在であり、現実の円は有限の精度を持つ、実用上、円と言えるものであって、完全な円ではない、だから、完全な円などない」と普通は考えます。しかし、プラトンは、そうは考えませんでした。「完全な円こそが永遠不変の真の実在であり、日常生活の世界に存在する個々の円は、円のイデアを分有しているがゆえに円であると言えるが、永遠不変ではなく、遅かれ早かれ朽ち果てる存在である」と彼は考えました。この考え方の特徴は、「この世」に存在する個々の円よりも、天上界、すなわちイデア界に存在する円のイデアこそが永遠不変の真の実在である、と考えたことにあります。

 プラトンは、また、「人間には理性がそなわっていて、イデア界の真理を論理によって認識できる」と考えました。数学では、論理によって定理を証明します。実験や観察によって確かめようとはしません。数学は、現代の科学技術に不可欠の学問ですが、思想史的には、プラトン主義の産物であると言えると思われます。

 哲学史には、また、アンセルムスの「神の存在証明」と呼ばれているものがあります。それは、大体、次のようなものです。

・神とは、それ以上偉大なものが考えられないものである。(神の定義)

・私の頭の中にだけあるものと、私の頭の中にもあり現実にも存在するものと、どちらが偉大か?当然、後者のほうが偉大である。

・ゆえに、神は実在する。

 アンセルムスの「神の存在証明」は、神の定義から神の実在を導き出しています。これは有効な「証明」なのでしょうか?後に、カントは、「神の存在は、証明できないが、倫理が成り立つために要請される」としました。アンセルムスの神の定義は、一種の無限概念と言えるでしょう。つまり、アンセルムスの「神の存在証明」は、無限は実在すると言っているとも解釈でき、一種のプラトン主義であると言えると思われます。

 哲学史上、プラトン主義は、オッカムのウィリアムによって批判されるに至りました。彼は、「プラトンが言うイデアは、言葉の意味であって、それを五感で確かめられないイデア界や天上界に実在すると想定することは不必要であり、真の実在は、この世界の個々のもの、すなわち個物であって、イデアではない」と主張しました。この考え方は、現代の常識的な世界観に近いでしょう。この考え方は、「無限は存在しない、神も存在しない」という考え方に至る道に一歩踏み出したことになると思われます。

 しかし、哲学者ホワイトヘッド(1861-1947)は、「西洋哲学史プラトンへの脚注である」と言いました。ヘレニズム(ギリシャ思想)とヘブライズム(ユダヤ思想)は西洋思想の2つの柱であると言われます。イデアは一種の無限概念であるとも言えます。神の概念も一種の無限概念です。ヘレニズムの世界観には、無限は実在するという思想が歴史的にはありました。それだけにとどまらず、無限は必然的に実在するという考え方さえあったと言えます。