Mark Hara's Blog

よりよい日本・よりよい世界を考える

現在、日本において、最も影響が大きい宗教は何か?

 日本では、大半の人たちが、信じている宗教を問われた場合、「とくに信じている宗教はない」と答えます。そのことから考えれば、現代の日本において、宗教はそれほど大きな影響を及ぼしていないと考えることができそうにも思えます。

 他方、日本には、仏教の寺院や神道の神社が数多く存在しています。そのことから考えれば、仏教と神道が、あえて言えば日本における影響の大きい宗教であると考えられるのではないかとも思えます。実際、日本の宗教の外国の研究者たちはそう考えてきました。例えば、ブラウン(Delmer M. Brown)は、日本人は生に関することでは神道の神社に参拝し、死に関することでは仏教の僧侶に読経を依頼していると考えていました。目に見える現象から考えれば、そういう結論になるでしょう。しかし、あなたは、仏教や神道について、それらがどのような宗教なのか説明できますか?

 加地伸行は、日本において最も影響が大きい宗教は儒教であると言っています。しかし、儒教には、神道神職や仏教の僧侶のような専門職がなく、ある程度以上の大きさの境内を持つ儒教寺院は、東京の湯島聖堂くらいしかないので、儒教の存在は、神道や仏教より見えにくいことは確かです。

 それぞれの国において、最も影響が大きい宗教は、実は、歴史的、地理的に明らかな場合が多いです。例えば、中東のアラビア語圏で最も影響が大きい宗教は、明らかにイスラム教です。ヨーロッパのラテン語文化圏で最も影響が大きい宗教は、明らかにキリスト教です。仏教文化圏は、明らかに東南アジアに位置しています。そういう意味では、漢字文化圏の国々は、儒教文化圏ということになるでしょう。ただし、儒教文化圏は、仏教文化圏と地理的に重なるので、キリスト教文化圏やイスラム文化圏ほどには明らかではないかもしれません。

 それでは、儒教とはどのような宗教なのでしょうか?儒教は、一族の死者を祭る宗教です。儒教には天帝というキリスト教の神に似た概念がありますが、天帝を祭るのは天子、すなわち皇帝であって、皇帝以外の人は、一族の死者を祭ります。人が死ねば魂魄が分離し、魄は遺体とともに墓に行き、魂は遺体から分離して空に行くという神話的世界観があります。儒教の儀式は、墓に酒を注いで魄を、香を焚いて魂を位牌に呼び戻し、死者と生者が会食するという形を取ります。位牌は頭蓋骨の代用で、上部が頭の形をしています。儒教において人々が拝むのは、神や仏のような虚構的存在ではなく、あくまでもかつてこの世で生きていた肉親です。日本の歴史においては、平安時代鎌倉時代など、仏教的な極楽往生が大きな関心事だった時代がありましたが、経済がある程度豊かになった江戸時代は、儒教の現世中心の世界観が優勢になったのではないでしょうか。友以外の人間関係を上下関係でとらえる儒教の人間観は、江戸時代の統治原理でもありました。江戸時代は、寺請制度が実施され、仏教の寺院は国民の個人情報を管理していたわけですが、仏教が担っていたのは死者に関する儀式であり、仏教は儒教と渾然一体となっていたと見ることができると思われます。

 明治以降は、神道が国家の祭祀となりましたが、神道はそもそも現世的な望みの実現を願う呪術的性格が強く、倫理的な面が希薄だったと言えます。ですから、国家神道は、江戸時代の儒教道徳を継承したと思われます。

 上記のような日本の歴史的な事情を考えると、儒教の影響が大きいことが理解できるのではないでしょうか。日本においては、仏教と神道が目に見える宗教として存在していますが、それらの宗教が行なっていることは、儒教的世界観、人間観の維持、継承であるとさえ言えるのではないかと思われます。他の先進国と比較した場合、日本社会に顕著な特徴として、臓器提供の少なさ、国民の大半が死刑制度を支持していること、根強い男尊女卑、性的少数者の尊厳と権利への無理解などを挙げることができると思われますが、これらの特徴は、すべて儒教の世界観、人間観に由来していると言っても過言ではないと思われます。