中1のときの米国人の先生の授業
私が中学1年生となったのは、1972年のことです。当時は、土曜日も午前中だけ授業がありました。私が入学したカトリック系の男子校では、英語の授業は、たしか週に6時間あり、米国人の先生の授業が4時間で、日本人の先生の授業が2時間だったと思います。米国人の先生は、米国東北部出身の30代の白人の修道士でしたが、最初の授業のときに開口一番、Korekara eigo naraimasho と英語なまりが強い日本語で言われたのです。強烈な印象でしたが、新しいことがたくさん学べる授業でした。
私の世代は、小学校4年生から訓令式ローマ字を国語の授業で習うことになっていたと思います。私は、ローマ字が好きでしたが、ローマ字で sutoppu と書く言葉が世間では stop と書いてあって、stop のほうがかっこいいように見えたのですが、どういう道理で stop と書くのかがわからなかったのですが、中1で米国人に英語を習い始めて、なるほど、stop とは発音どおりに書いてあるだけなのだということがわかり、納得できました。
発音指導に関しては、Repeat after me と言われて、先生の言われるとおりに言えたら、Good ということになるのですが、もしそのように言えなかったら、何度も繰り返し直される、という指導法でした。次のような忘れられないやり取りがありました。
先生:Repeat after me. "Wind."
生徒:ウィンド。
先生:No. Not "window." "Wind."
生徒:ウィンド。
先生:No. Not "window." "Wind."
生徒:ウィンド。
先生:No. Not "window." "Wind."
生徒:ウィンド。
先生:・・・(深い失望のため息)
ひと事ながら、その生徒に同情しました。トラウマになったのではないかと心配しました。彼は英語が好きになるはずがないと思いました。
私は、だいたい先生の発音をまねることができたのですが、最後まで違うと直されたのは、[ɔː] の音でした。Thought, bought, caught などの母音です。先生の言ったとおりに言っているつもりだったのですが、なぜか違うと言われたのです。当時、『カレッジクラウン英和辞典第2版大型版』という辞典があり、中学入学時に買わされたのですが、それの巻頭に発音記号の日本語による解説があり、それを読んで理解でき、それから先生に発音を直されなくなりました。それが中1の初夏のころだったと思います。私は、Repeat after me という指導法をなんとか切り抜けられました。今思えば、その先生の英語は New England 地方の言葉で、[ɔː] ではなくて [ɑː] と言っておられたので、余計に難しかったのではないかと思われます。その英和辞典には、[ɔː/ɑː] の解説があったのかもしれませんね。度重なる引っ越しのため、その辞典は手元になくて、確かめることができませんが。
その先生は、子音の発音に関しては、口の断面図を使って、それなりに説明はしてくれました。母音に関しても、唇の形の正面図を使って、それなりに説明はしてくれました。
大学に入学したときに、ドイツ語を学び始め、日本人の先生の発音が日本語なまりに聞こえたので、NHK教育テレビのドイツ語を見ることにしたのですが、そこでドイツ人の先生が Sprechen Sie mir nach と言っていたことが印象的でした。英訳すれば、Speak after me なのですが、要するに Repeat after me ですね。
一般的に、外国語を学ぶ場合、その言語を母語とする人から学ぶことは望ましいことだと思われますが、それがうまく行けばよいのですが、その言語が母語の人には、なぜその発音ができないのかということが理解できない場合があるという問題もあります。そう言えば、同志社女子大の非常勤講師をしていたときに、講師控室で、中国人の先生が、「どうしてBとPがわからない?BとPは全然違う」と言っておられました。中国語、韓国語、ベトナム語には有気音と無気音がありますが、日本語や英語にはそういう概念はありません。Bは無気音、Pは有気音で、違うわけですが、日本人にはそれが難しいということが、その言語が母語の人には理解できないのだなと思った次第でした。ちなみに、日本語ではBは濁音、Pは半濁音、英語ではBは有声子音、Pは無声子音ですね。