Mark Hara's Blog

よりよい日本・よりよい世界を考える

勉強と就職について今思うこと

 入学試験を受けるという経験は、日本においては、高校以上の学校に進学しようとするときにすることになります。場合によっては、それより早い段階で経験する人もいます。普通は楽しいものではありません。不合格になる可能性がありますから。

 私の場合、家から1キロメートルくらいのところにカトリック中高一貫の男子校がありました。京都に住んでいましたので、京都大学に進学できれば望ましいという思いがありました。そうするためには、まず、その中高一貫の学校に行くことが望ましいと考えられていました。私の場合、母が小学校の教員でした。私は、小学4年生のときから、夜の決まった時間に母と勉強することになりました。それ以前にも「毎日の勉強」(通称「まいべん」)というドリルはやっていました。6年生からは、嵯峨のほうの塾に嵐電で通いました。幸い合格できましたが、今思えば、かなり無理をしました。大人が飲むようなQPコーワ等のサプリメントを飲んでいましたが、体調はよくなくて、かなり痩せていました。近視にもなり、中学1年生からメガネをかけるようになりました。

 中高の6年の間に、私は英語が好きになり、カトリックに肯定的な感情を持つようになり、物理学が好きになりました。しかし、中2のときには成績不振に陥りました。高校のESSで、京都市内のいくつかの女子高校との交流があり、それが楽しみでした。グループ交際のようなことも経験しました。今思えば、同級生たちの親は、医師、大学教授、社長、エリートサラリーマンなどが多く、両親が教員だった私はいじめられる可能性もありましたが、結果的には比較的楽しい中高生活を送ることができました。非常に幸運だったと思います。今でも同窓会にはできるだけ出席しています。

 その後、京大理学部に現役で合格することができました。高校の卒業式は2月上旬にあり、京大の入試は3月上旬か中旬だったと思います。高校の卒業式の後は、自分で計画的に勉強し、入試前の1か月で学力が伸びました。入試の成績を大学入学後に教えてもらえたのですが、結果的には医学部でも合格できていたことがわかりました。今思えば、かなり無理をしました。歯の衛生状態が悪化し、虫歯が増えました。

 私は物理学者になりたかったのですが、大学院の入試で不合格となり、その後、一時は塾の教師になろうとも思いましたが、結局、京大文学部のキリスト教学教室に学士編入しました。その間に妻と出会い、文学部卒業後は同志社の大学院に進み、その後、幸いアメリカに留学でき、阪神間の大学に就職できました。今思えば、非常に幸運だったと思います。

 京大文学部の編入学試験は、願書、受験料、受験票等はありましたが、教授との面談のみで合格の判定が出ました。その面談のとき、教授が言った言葉が忘れられません。「企業に就職するつもりなら、文学部卒よりも理学部卒のほうが有利ですよ。一生勉強するつもりなら、ここに来てもよいです。」私は、企業でやっていける気がしませんでしたので、「一生勉強するつもりです。」と言いました。

 私が学んだ中高一貫の男子校は、一般に入ることが難しいとされていた学校です。同級生たちは、約200名いますが、皆、小学校の勉強がよくできた人たちでした。同級生たちのほとんどは、京都大学の各学部、全国の医学部や医科大学東京大学早慶、その他の大学に進学しましたが、大学に進まなかった人もいますし、部活による負傷のために高校中退となった人もいます。高校中退となった同級生は、中学は卒業しているので、同窓会の会員となり、今も交流があります。京大理学部の大学院に進学した同級生の一人は自死しました。他の同級生は、NECでリストラ対象者となり、長期間閑職に追いやられ、統合失調症を発症し、今も治療を続けながら、スーパーのバックヤードの仕事をしています。数人の同級生が亡くなっています。裁判官になった同級生やトヨタに勤めていた同級生の一人も亡くなりました。トヨタの別の同級生は経理部長です。開業医、勤務医、国会議員、大企業の社長や役員、家業の企業の社長、大学教授の同級生もいます。とくに医師の同級生は多いです。私の母も在職中に亡くなりました。私の伯母も在職中に亡くなりました。在職中に亡くなる場合、様々な原因があるでしょうが、無理をしていた状態だった場合が多いのではないかと思います。今も独身の同級生も少なくありません。有名百貨店を早期退職して猫の世話に明け暮れている人もいます。緑内障から視覚障碍者になった人もいます。LGBTの人もいます。音信不通の人もいます。

 私が行っているカトリック教会にも、実に様々な人たちがいます。自衛隊からパイロットになった人もいます。大企業の社長だった人もいます。在職中に亡くなった人もいます。アパートの家賃収入がある人もいます。音信不通になる人もいます。娘の夫は、生物の教員になりたかったのですが、家庭の事情で大学に行けず、大手私鉄の運転士になりました。京都で行っていたプロテスタントの教会の青年で、京大を卒業してトヨタに就職した人がいましたが、この人は自死しました。

 健康で幸せに長く生きることができたら望ましいと考えられますが、それができない場合も少なくありません。自分には何ができて何ができないのか。自分にできることで好きなこと、あるいは嫌でないことをしながら、健康で幸せに長く生きることができたらいいですね。しかし、それができない場合もあります。進学や就職を考える場合、ついつい現在の課題にばかり目が行きがちですが、長い目で自分の適性を考えることも非常に大切ではないでしょうか。