Mark Hara's Blog

よりよい日本・よりよい世界を考える

学校での勉強について

 Educate という英語の動詞の語源はラテン語で、「引き出す」というのが語源的な意味です。世界人権宣言の第1条にも、「人間は、理性と良心とを授けられており・・・」という文言があるように、人間の心には神によって授けられた理性と良心、すなわち自然法が先天的に備わっているという人間観が、西洋思想にはあります。

 そうは言っても、何も学ばなくてもよいわけではありませんね。例えば、親や養育者から大量の母語を長時間聞き続けることによって、母語の発音、語彙、文法が獲得されていき、どこかの時点で、自ら言葉を発するようになります。さらに大量の母語を家庭や社会において聞き続けることによって、より高度な言語表現ができるようになり、さらに学校で読み書きを学習することによって、社会で生きていく上で必要な言語能力を獲得します。母語の獲得のために、どれほどの時間とエネルギーを使っているかに比べれば、外国語学習の時間とエネルギーは圧倒的に少ないことが多いわけですが、それでもかなりの時間とエネルギーを使っていると思います。

 学校で学ぶ算数・数学や社会科・理科の諸科目も、社会で生きていく上で必要ですし、高校に進学し、高校を卒業し、さらに大学に進学するためにも必要です。日本の場合は、日本語で諸科目を学んでいます。英語さえ、日本語で学んでいます。明治時代に近代的諸科学(人文科学、社会科学、自然科学)の用語が日本語に翻訳されたから、近代人として必要な諸科目を日本語で学ぶことが可能になっています。

 フィリピンやアフリカの多くの国々のように、国内に言語が複数存在している場合は、幼児教育は地方語を中心に始め、しかし、英語やフランス語教育も幼児期から少しずつ始め、小中高と進むに従って、地方語による学習が減り、英語やフランス語による学習が増えていき、大学では英語やフランス語による学習のみになるそうです。

 今はどうなっているのか知りませんが、アメリカの場合、大学に入学するためには、SATという共通テストの結果と高校の成績を含む願書を入学したい大学に提出し、書類選考によって合否が決まりました。大学院に入学するためには、GREという共通テストの結果と大学の成績を含む願書を入学したい大学院に提出し、書類選考によって合否が決まりました。私は、アメリカの大学院に留学しましたので、SATは受けていませんが、GREは受けました。GREは、言語(英語)、数学、論理の3科目でしたが、外国人の私には、言語(英語)が最もきつかったですが、数学は簡単でした。論理は、英語での出題ですから、ある程度大変でしたが、言語(英語)よりはできたと思います。

 結局、現代においては、大学で学ぶために必要な基礎学力は、国によってそれほど大きくは違わないのではないかと思います。カーンアカデミー(Khan Academy)という非営利・無料の国際的遠隔教育組織があるのですが、創始者のカーン氏も、そういう認識から、この国際的な遠隔教育プログラムを始めたと思われます。最初は英語のみでしたが、今は日本語のプログラムも一部あるようです。しかし、例えば数学は、英語のほうがより高度なプログラムがあるようです。このプログラムは無料ですので、興味がある方はやってみられてはどうでしょうか。

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 余談ですが、アメリカの願書や履歴書では、写真貼付を要求してはいけないことになっています。人種差別につながるおそれがあると考えられているからです。

 アメリカに留学する場合は、TOEFLという英語能力についての共通テストの結果も要求されました。

 私がアメリカに留学したのは1988年から1993年まででした。その頃は、日本のほうが物価が高かったのです。今は逆になっていますので、今だったら留学できなかったと思います。