Mark Hara's Blog

よりよい日本・よりよい世界を考える

呪術と宗教はどう違うのか?

 日本人の多くは、自分を無宗教であると考えています。そして、宗教とは、ありもしないことを信じることで、益よりも害のほうが大きく、ないほうがよいものと考えていると思われます。端的に言えば、宗教を信じている人は阿呆であると考えていると思われます。

 人類の宗教文化別人口を見ると、キリスト教文化圏が最大の人口を擁していて、その次がイスラム文化圏です。これら2つの宗教文化圏の人口を合わせると、人類の半数を超えています。人類には、阿呆のほうが多いのでしょうか。

 宗教に弊害があることは事実です。宗教の最大の弊害は、人権の抑圧につながる危険性であると思われます。

 宗教は複雑な現象ですが、宗教の簡単な定義としては、「神話と儀式から成る象徴体系」という定義があります。儀式を行なうという意味では、呪術もまた、儀式を行ないます。呪術と宗教は、どのような関係にあるのでしょうか。

 呪術は、儀式によって現実的具体的な効果がもたらされることを期待して行なわれます。人類の歴史においては、雨乞い、豊作豊漁祈願、安全祈願、戦勝祈願、病気治癒祈願、呪詛、等が行なわれてきました。多くの場合、災いを遠ざけ、福を招くことを目的として呪術は行なわれます。呪術の焦点は、現実的具体的な効果にあります。日本人の多くは、無宗教であると言いながら、神社参拝をしています。一定の作法に従って参拝することで、災いを遠ざけ、福を招く効果があることを期待していると思われます。

 それに対して、宗教の機能の一つは、呪術が失敗して、災いがふりかかったときに、その災いの中に何らかの積極的肯定的意味を見出し、災いを乗り越えようとすることにあると思われます。歴史的にも、聖典の宗教としてのユダヤ教は、バビロン捕囚という国家の崩壊を経て成立したと考えられます。また、創唱宗教とされる仏教やキリスト教は、師の死という危機を乗り越えて成立したと考えられます。歴史的には、呪術のほうが宗教より先に出現したと考えられます。

 呪術も宗教も儀式を行ないますが、呪術の目的は災いを遠ざけることにあり、宗教の機能の一つは災いの中に意味を見出し、災いを乗り越えようとすることにある、と言うことができると思われます。

参考:芦名定道『宗教学のエッセンス 宗教・呪術・科学』北樹出版、1993年

神学部を卒業しても大卒になるのはなぜか?

憲法第89条

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 日本国憲法には上のような条文があります。しかし、宗教系の私立学校への公的な補助は行なわれています。なぜそれが可能なのでしょうか?学校法人は宗教法人ではありません。また、学校法人が設置している大学・短大・高専に対しては、文部科学大臣が認可を与えて、監督していますし、幼・小・中・高に対しては、都道府県知事が認可を与えて、監督しています。

 また、日本国憲法には、下のような条文もあります。

憲法第26条

すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 私立学校への公的な補助には、国民の教育を受ける権利をできるだけ実質的なものにする目的があると思われます。

 もう一つ留意すべき点として、キリスト教神学に関しては、19世紀のドイツで近代神学が成立し、それが世界中に波及したということがあります。すなわち、それまでは、神学は神についての思弁の学でしたが、近代神学の成立以降は、神についての人間の思想や文化を研究する学問となりました。すなわち、近代神学は、実在する文献を研究する人文学の一分野となったわけです。そのようなわけで、世界の名門大学には神学部があることが多いわけですが、神学部を卒業しても大卒となります。日本では、同志社大学関西学院大学上智大学などに神学部があり、そこを卒業すれば、文学部を卒業したのと同様に、大卒となります。また、他の宗教の学問についても、キリスト教神学と同様に近代化されたので、大学で仏教学や神道学を専攻しても、卒業すれば大卒となります。

 要するに、現代においては、神学とは、神を論じる学問ではなく、人間の宗教思想や宗教文化を研究する人間学である、と言えます。

参考:日本国憲法の誕生(国立国会図書館)

Memento mori このブログについて

 Memento mori は、ラテン語のことわざで、その英訳は Remember that you die, 和訳は「汝の死を覚えよ」です。

 私も年齢が60歳を超えまして、いつまで生きられるかわからないという気持ちになってきました。長生きしたいとは思っていますが、こればかりは「神のみぞ知る」です。私が死ねば、私の頭の中にあるものは失われます。その中には、それを知るのに長い年月を要したものもあります。

 そういうわけで、自分の頭の中にあることの中で多少とも公益性があると思われることを書いていこうと考えています。分野としては、人権、政治、宗教、キリスト教、英語、歴史、などを予定しています。できるだけ間違いがないように気をつけていきますが、このサイトの内容を利用される場合は、確かな資料によって確認されることをお願いいたします。また、過去の記事を随時修正する可能性がありますので、ときどきブラウザの再読み込み(右巻きの矢印)をクリックして、最新版を reload してください。